月刊誌リジョイス 聖書日課 2015年10月12日(月)

サムエル下14章 ゆるされるべきもの

「わたしたちは皆、死ぬべきもの、地に流されれば、再び集めることのできない水のようなものでございます。神は、追放された者が神からも追放されたままになることをお望みになりません。そうならないように取り計らってくださいます。」(サムエル下14:14)

 兄弟を殺害したアブサロムはその罪を精算するかのように外国に逃亡します。しかし、ダビデはアブサロムを愛しており、その帰国を願っていました。しかし、逡巡もしていました。アブサロムの罪は、カインによるアベル殺害を思い起こさせる悲劇であり、ダビデの家の恥辱であったからです。

 ダビデの信頼する家臣ヨアブは、ダビデの内なる心をつかみ、計略を立てます。テコアの女を呼び、その口から、アブサロムを許すように導く言葉を語らせます。見事、この計画は成功し、アブサロムはエルサレムに戻ってくることになります。

 ところが、アブサロムは父ダビデ王のもとに行こうとしません。何故行かなかったのか。「わたしの前に出てはならない」(24節)といったダビデの言葉を文字通りに受け取ったために、父親の本意を掴めなかったからです。さらにいえば、子を愛する父ダビデの思いを理解できなかったからです。アブサロムは自らを低くして父の憐れみによりすがるべきでした。神の愛を理解して立ち帰る者のように。私たちは日々、神の愛を求め、立ち帰り続ける者でありましょう。

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