月刊誌リジョイス 聖書日課 2015年8月4日(火)

サムエル上6章 主の御前に誰が立つことができようか

ベト・シェメシュの人々は言った。「この聖なる神、主の御前に誰が立つことができようか。我々のもとから誰のもとへ行っていただこうか。」(サムエル上6:20)

 主の箱が奪われて7か月間、イスラエルの民はなすすべもなく過ごしていました。しかし、主ご自身が戦いに勝利し、ペリシテの領主たちを従えて凱旋してきたかのように、主の箱は帰ってきました。

 ベト・シェメシュの人々はこのことを喜び、礼拝しましたが、彼らは主の箱の中をのぞくという不敬の罪を犯します。神への畏れを失い、神との関わりが馴れ合いになることを、聖なる神はおゆるしになりません。主は住民5万人のうち、70人を打ってご自身の聖性を示されました。

 神のきよさの前に人々は言います、「主の御前に誰が立つことができようか」。その通り、神のきよさの前に立ちうる人間は一人もいません。しかしそのような人間を神がご自身の前に立たせようとし、神と人との間に仲保者を立ててくださったのです。この人々の言葉の先に、神が用意されたダビデが、そしてやがて完全な仲保者として遣わされる御子イエス・キリストがおられるのです。

 私たちは、このキリストによって神の御前に立たせていただいているのです。感謝して、きょう一日も神の御前を歩みましょう。

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