月刊誌リジョイス 聖書日課 2015年5月7日(木)

イザヤ35章 そのとき、見えない人の目が開き

そのとき、見えない人の目が開き
聞こえない人の耳が開く。
そのとき
歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。
口の利けなかった人が喜び歌う。
荒れ野に水が湧きいで
荒れ地に川が流れる。(イザヤ35:5-6)

 34章のエドムへの神の裁きは、「もろもろの国」「もろもろの民」(1節)への審判でもありました。しかし、35章では一転して回復の御言葉が語られています。審判が全世界に及ぶのであれば、回復もまた全世界に及びます。荒れ野は花を咲かせ、心おののく人が勝利し、主なる神ご自身が民に先立って歩まれます。

 旧約預言者の言葉は、遠近法を駆使した一枚の風景画です。一つの画面に近い将来のことと、遥か先のこととが描かれています。

 国を滅ぼされ流浪の身となった人びとは、祖国の解放と帰還をこの預言に読み取ったことでしょう。しかし同時に、この恵み深い救いの預言は、今日に生きる私たちのことでもあります。

 見えない人の目が開かれる。主イエスと使徒たちは、主イエスの御名によって起きたこのことは、イザヤの預言の成就であると宣言しています(マタ11、12、21章、使3章)。世の終わりの神の御国は、主イエスにおいて既に到来しています。主イエスに結ばれた者もまた神の子、神の民です。人と世界の救いを味わい喜び躍ります。

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