月刊誌リジョイス 聖書日課 2015年4月16日(木)

イザヤ23章 顧みられる主

70年が終わると、主はティルスを顧みられる。そのとき、彼女は再び…地上にある世界のすべての国々と姦淫する。しかし彼女の利益と報酬は、主の聖なるものとなり、積み上げられも、蓄えられもしない。主の御前に住む者たちの利益となり、彼らは飽きるほど食べ、華やかに装う。(イザヤ23:17-18)

 13章から始まった託宣集がここで終わりになります。ここに出てくるティルスは、歴史の中でバビロンもアッシリアも何度となく攻撃してきたところです。それでも陥落することはありませんでした。やがてアレクサンドロス大王が攻め落としたのですが、滅んでしまったわけではありません。後に、ローマ時代に復興し、主イエスもティルスに行かれました(マコ7章24、31節)。

 確かにティルスのようにおごり高ぶる者は、万軍の主が怒りを向けられます。そして、一見、滅ぼされてしまったかのように思われます。けれども、それですべてが終わったのではありません。70年という長い期間の後に顧みられたように、主の憐れみによって未来が開かれていきます。

 こういう意味で救いから遠いはずの異邦人が救われ、主に用いられるようになったのが、新約の時代です。そして国境も民族も越えて、主は救いの御手を伸ばしてくださいました。ティルスへの語りかけは、主の大いなる御業をしっかりと照らし出すものとして今日の私たちに迫ってきます。

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