月刊誌リジョイス 聖書日課 2015年4月2日(木)

マタイ25章 最も小さなお方、主イエス

「『いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』」(マタイ25:39-40)

 ここで、旅人とは伝道者、囚人とは迫害されたキリスト者であることが暗示されています。主イエスは、私たちを「最も小さい者の一人」として、見ておられます。

 キリスト者とは、主イエスのゆえに弱くされた者です。キリストなしに生きられないからです。だからこそ主は、私たちを小さな友と認めて、命を捨て、復活されました。つまり、主イエスは、私たちをご自身と一つに重ねて見ておられます。

 なぜなら、主イエスこそ、最も小さなお方だからです。しかし、主イエスは、十字架の弱さの中で、神の偉大な力を示されました(2コリ13章4節参照)。また、パウロは、「弱いときにこそ強い」と告白しています(2コリ12章10節)。主と結ばれた弱さも小ささも、この世の尺度では測れません。

 主の眼差しは、社会の中で小さく「されている」友にも注がれます。私たちも、一杯のお茶碗を差し出して隣人となります。それは神の国に入るためではなく、すでに、神の国に生きている者としてです。小さな業が、永遠の行き先を左右するとの、厳かな主の警告を聴きつつ。

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