覇権を争い、戦いに明け暮れる大国の姿は、時代が変わっても絶えることがありません。『戦記』と呼ばれる歴史書には、勝利者の武勲や巧みな戦略がたたえられています。そこから学び取れることはたくさんあるでしょう。しかし、聖書にはまったく違った観点から、覇権を握った大国のことが描かれています。それは神の裁きの道具としての姿です。世界に名だたる大きな国も、一時のための神の道具に過ぎないのです。きょうの聖書の言葉にあるように、斧ものこぎりも、それを使う主人以上のものではありません。斧がそれを振るう者に対して自分を誇り
のこぎりがそれを使う者に向かって
高ぶることができるだろうか。
それは、鞭が自分を振り上げる者を動かし
杖が木でない者を持ち上げようとするに等しい。(イザヤ10:15)