月刊誌リジョイス 聖書日課 2014年6月10日(火)

列王下24章 人の罪でも変わらない神の契約

ユダが主の御前から退けられることは、まさに主の御命令によるが、それはマナセの罪のため…またマナセが罪のない者の血を流し、エルサレムを罪のない者の血で満たしたためである。主はそれを赦そうとはされなかった。(列王下24:3-4)

 ヨシヤ王がエジプトとの戦いで戦死し、その後をヨアハズが継ぎましたが、彼はエジプトに連れて行かれ、その治世は三ヶ月で終わりました。その後、ヨヤキムが王位を継ぎましたが、彼もまたバビロンに連れて行かれました(代下36章5、6節)。

 こうして、ヨアハズ、ヨヤキム、ヨヤキン、そしてゼデキヤと、次々に王が捕らえられ、殺されてしまいました。神殿は破壊され、王宮は焼かれ、国は滅びてしまったのです。それはマナセの罪のため(3節)でした。主の怒りによってこのような事態になり、ついにその御前から捨て去られた(20節)のです。

 ユダの歴史と目まぐるしい王位の交替が示すのは、人間が神に対して従順になり、神に信頼するのは、その本性の腐敗のゆえに至難のわざだ、ということです。そしてただ神の憐れみと赦しだけが、人を神の恵みへと立ち帰らせる道である、という事実です。

 これほどの背反にも拘わらず、イスラエルに対する主なる神の契約は、それでも変わることなく、破棄されることはありません。人の目には、絶望に見えるところにも、主なる神の働きは続き、導きがあるのです。

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