月刊誌リジョイス 聖書日課 2014年5月29日(木)

列王下17章 救い主を軽視するとは

こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から導き上り、エジプトの王ファラオの支配から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、他の神々を畏れ敬い、…諸国の民の風習と、イスラエルの王たちが作った風習に従って歩んだからである。(列王下17:7-8)

 この章の前半は、北イスラエルの最後の王ホシェア時代の捕囚とその理由が記されています。24節以下には、主がアッシリア王を用いて、主を礼拝するように導いてくださったのに、人びとが主と共に偶像をも拝んだ経緯が記されています。

 北イスラエルの王たちは、約200年間にわたって他の神々をも拝して、主に悪とされることを行っていたので、アッシリア捕囚を免れることはできませんでした。

 何が原因でしょうか。自分たちをエジプトの地から導き出し、ファラオの支配から解放してくださった主を忘れてしまったからです。主の救いを忘れ、他の神々にも仕えるとは、何という恩知らず、何という冒涜でしょうか。

 自分は偶像礼拝はしていないと思っているかもしれません。しかし、富、知識、自分の経験、世の常識、いろいろな情報等を拠りどころとしているならば、それは偶像礼拝に等しいものです。

 しかし、私たちは礼拝の度に、他のものに頼って、主を軽んじていたことを悔い改めます。そして、主の救いに感謝し、主のものとされていることを信じ直すのです。

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