月刊誌リジョイス 聖書日課 2014年5月19日(月)

列王下10章 御心を行うにしても

「ただ、このことだけは知っておくがいい。主がアハブの家に対してお告げになった主の言葉は一つも地に落ちることがない。主はその僕エリヤによってお告げになったことを実現された。」(列王下10:10)

 イエフは、イスラエルを偶像礼拝に誘ったアハブの子供たち70人の首をはねさせました。そして、彼は、アハブの家に対する裁きが主の御心であることを宣言しました。また、サマリアでは、バアル信仰を一掃するため、バアルの信者をだまして全員集め、皆殺しにしてしまいました。

 主は、バアルと戦うイエフの熱心を評価されました(30節)。神がアハブを裁かれるという預言は、まさに、このイエフによって成就しました。神は、神の民の偶像礼拝を裁かずに、放置されることは決してありません。

 しかし、神は「主の律法に従って歩もうと努めず、…ヤロブアムの罪を離れなかった」(31節)イエフの罪をも裁かれます。イエフは偶像礼拝に走る他者を裁いても、自分をその罪から遠ざけることができませんでした。

 また、彼のやり方をどう思いますか。主に伺うことをせず、自分流のやり方で行いました。時代状況が異なるとは言え、首を傾げさせ、顔を曇らせるものが残ります。教会の活動において、御心を行うにしても、御心に適う行い方を祈り求めたいと思わされています。

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