月刊誌リジョイス 聖書日課 2013年3月23日(土)

1テモテ6章 大きな利得の道

もっとも、信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です。なぜならば、わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。(1テモテ6:6-7)

 4-5節で使徒パウロは、「ねたみ」や「絶え間ない言い争い」などは「精神が腐り、真理に背を向け、信心を利得の道と考える者の間で起こるものです」と語って、信心が決して利得の道ではないことを明言しました。

 確かに「利得」というものを、人間の欲望を満足させることだと考えるなら、パウロの言う通りであって、信仰生活を自分の欲を満足させる手段と考えてはいけません。

 しかし、「利得」の意味を捉え直して、主にあって満足することだと考えるなら、これほど大きな利得の道はありません。

 この世的なものを追い求め、そこに自分の満足を見出そうとするなら、「わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができない」のですから、失望しかありません。

 ところが私たちは、主に「満ち足りる」ことを知ったのですから、「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています」(フィリ3章8節)。

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