月刊誌リジョイス 聖書日課 2012年3月16日(金)

2コリント8章 主の貧しさのゆえに

あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。(2コリント8:9)

 イエス・キリストの貧しさとは、主が神の身分でありながら、私たちと同じ人間として、この世界に来てくださったことです(フィリ2章6〜11節)。パウロは、慈善の業や献金の勧めを語る文脈のなかで、この恵みを突然語り出します。パウロは何をするにしても、主に救われた恵みに基づいて、いつも行動していたからです。

 兄弟姉妹への施しは、愛の一つの表し方です。しかし、私たちは「愛」の名において行うときでさえ、その名を汚してしまう弱さがあります。人は誰でも、「愛の純粋さ」(8節)に生きることができない罪を抱えています。

 主イエスは、この人間の貧しさのただ中に生まれてくださいました。そして、十字架で私たちの罪を背負って死んでくださったのです。主の貧しさのゆえに、私たちは神の前に豊かな者とされました。この主のご生涯の中に愛の純粋さを確かめることができます。主の愛にあふれる恵みは、施しという日常の生活のなかに映し出されるほど、豊かに注がれています。

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