月刊誌リジョイス 聖書日課 2012年2月10日(金)

エゼキエル33章 見張りの務めを果たす教会

「人の子よ、わたしはあなたをイスラエルの家の見張りとした。あなたが、わたしの口から言葉を聞いたなら、わたしの警告を彼らに伝えねばならない。」(エゼキエル33:7)

 旧約の時代、預言者には神の言葉をイスラエル同胞に語りかける責任がありました。特に同胞が律法に反し、悪と不正を犯すとき、預言者は厳しく見張り、警告することが求められました。たとえ相手が王であろうと、権力者であろうと同じです。預言者は不正を見過ごすことなく、見張りの務めを果たさなければなりません。

 新約の時代になっても、この見張りの務めは決して無くなってはいません。キリストの体なる教会は、神から御言葉を語る権能を委託されています。教会は預言者としての使命を与えられ、この世に遣わされています。戦前日本の教会は、国家による天皇崇拝・神社参拝の強制や、近隣諸国に対する侵略戦争に警告する見張りの務めを果たし得ませんでした。私たちは同じ過ちを繰り返してはなりません。

 そのために、ここでも「あなたが、わたしの口から言葉を聞いたなら」と言われます。主の御声をしっかりと聞くところに、見張りの務めは支えられるのです。

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