月刊誌リジョイス 聖書日課 2011年9月21日(水)

イザヤ57章 とこしえに責めない神

わたしは、とこしえに責めるものではない。
永遠に怒りを燃やすものでもない。
霊がわたしの前で弱り果てることがないように
わたしの造った命ある者が。(イザヤ57:16)

 主と共に生きるために、「道を備えよ」と主は民に命じ、「つまずきとなる物を除け」と求められました(14節)。

 どれほどのきよさで生きれば、聖なる主と共に生きられるのでしょうか。主は「打ち砕かれて、へりくだる霊」、「打ち砕かれた心」で十分だと言われました(15節)。完全なきよさからほど遠い罪人であっても、その罪を悲しみ、悔い砕かれているならば、主と共に生きることができるのです。

 この恵みを受けるには、どれほど深く悔い砕かれなければならないでしょうか。主は、人の霊が「弱り果てることがないように」と思いやり、「わたしはとこしえに責めるものではない」と言ってくださいました。真実の悔い改めを徹底して求められたら、私たちの心は弱り果ててしまうでしょう。主はこの弱さをご存じで、罪を責められる辛さから私たちを解き放ってくださるのです。このお方だからこそ、共に生きることができます。心砕かれた者として、今日も主と共に歩みましょう。

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