月刊誌リジョイス 聖書日課 2011年9月6日(火)

イザヤ50章 主が助けてくださる

わたしの正しさを認める方は近くいます。
誰がわたしと共に争ってくれるのか
われわれは共に立とう。
誰がわたしを訴えるのか
わたしに向かって来るがよい。
見よ、主なる神が助けてくださる。
誰がわたしを罪に定めえよう。(イザヤ50:8-9)

 イザヤ書50章は三つの部分から成り立っています。主なる神の前に立つ「わたし」の独白を挟んで、前後には神からその不信仰と背信を指摘される「お前たち」への言葉が記されています。この不信仰な「お前たち」への言葉を取りついでいるのが、主の僕である「わたし」です。

 主なる神が語れとお命じになる真実の言葉は、罪人には耳の痛い、聞きたくない言葉です。そのような言葉を託された主の僕は、聞く者たちから暴力と嘲りを受けます。しかし、それでも主が命じられることを従順に守ることができたのは、しっかりとした確信があったからです。それは「主なる神が助けてくださる」ということです。

 まことの主の僕であるイエス・キリストは、まさに主の命じられたことに従順でした。それは主なる神の助けによってと言ってよいでしょう。主の御跡に続くキリスト者は、主イエスの忍耐を確かに知ることによって、この神の助けを受けることができるのです。

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