月刊誌リジョイス 聖書日課 2011年8月23日(火)

イザヤ44章 初めであり終わりである主

イスラエルの王である主
イスラエルを贖う万軍の主は、こう言われる。
わたしは初めであり、終わりである。
わたしをおいて神はない。(イザヤ44:6)

 44章には、偶像とそれを造る者のむなしさが描かれています。「木は薪になるもの。人はその一部を取って体を温め、一部を燃やしてパンを焼き、その木で神を造ってそれにひれ伏し、木像に仕立ててそれを拝むのか」(15節)。

 しかし、どんなに偶像のむなしさを説いても、人は偶像から離れられません。この世の苦しみや悲惨な出来事から救われたくて、そうしたものを造ってしまうのです。どうしたら偶像のむなしさから解放されるのでしょうか。それは、真の神と出会い、真の神のものとされていることを思い起こすことによってです(21節)。

 真の神は、天地万物をお造りになったお方ですから、それに先立つ初めはありません。また、すべてを完成へと導くお方ですから、神を通り越した終わりはありません。初めであり終わりであるこのお方以外に、神はあり得ません。そのお方が、神から離れる罪を贖い、ご自身のもとに私たちを留めおいてくださいます。救いの確信と平安とが、豊かに与えられます。

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