月刊誌リジョイス 聖書日課 2011年6月9日(木)

ヤコブ4章 信仰の振る舞いとしての話し合い

何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。…願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。(ヤコブ4:1-3)

 争いや戦いのない生活を、どれほど渇望しているでしょうか。国家間の戦争がなくても、個人的ないざこざで疲れ果ててしまいます。そうなる原因はどこにあるのでしょうか。ヤコブは、人間の内側にある欲望だと言います。

 争いを回避するための話し合いのときでさえ、話し合いが言い争いに変質し、さらに人間関係をこじらせることがあります。自分の意見と対立する人が現れれば、その人の存在を疎ましく思い、「あの人さえいなければいいのに」と思うことがあります。

 話し合いの良さは、自分と違った意見を聞き、自らの意見を修正できることにあります。しかし、多くの場合、自分を変えず、相手の意見を変えようとして、失敗します。話し合いのなかにも、自らを喜ばす欲望がうごめいています。

 ですから、自分の方が正しいと確信し、意見を押し通そうとするとき、祈りの備えが必要です。気付かぬうちに、自分の思いを満足させたいという欲望に自らが支配され、争いに誘われています。

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