月刊誌リジョイス 聖書日課 2010年12月11日(土)

テトス3章 福音に生きる喜び

かつては、無分別で、不従順で、道に迷い、種々の情欲と快楽のとりことなり、悪意とねたみを抱いて暮らし、忌み嫌われ、憎み合っていたのです。…こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。(テトス3:3-7)

 「かつて」の描写は、罪深さの極みともいえるほどのものです。救われた「今」の時点から振り返って見ると、かつての無分別さが如何に酷いものであったかが分かります。比較するべき「今」がなかったなら、かつての自分は分別ある一廉の者であったという自己認識で止まっていたことでしょう。

 パウロにこの今を与えたのは、「わたしたちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛」(4節)です。この神の慈愛は、御子イエス・キリストの誕生によって実現しました。さらに、神は、救い主イエス・キリストを通して、聖霊を豊かに私たちに注いでくださいます。聖霊が、私たちを新しく生まれさせ、かつての醜い私たちを造りかえてくださいます。私たちが希望どおり永遠の命を受け継ぐことができるのは、三位一体なる神の祝福です。

 かつての自分は、まだ完全には死んでおらず、後戻りさせようと誘います。しかし、私たちの信仰は、神の御業です。前に置かれている希望に目を向けましょう。

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