月刊誌リジョイス 聖書日課 2010年10月7日(木)

ルカ18章 神に感謝をして、罪を犯すファリサイ人

「言っておくが、義とされて家に帰ったのはこの人(徴税人)であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」(ルカ18:14)

 ボンヘッファーは、「ファリサイ人は神に感謝をして、罪を犯した。なぜなら、ファリサイ人は感謝しつつも自分自身しか見つめず、謙虚な心をもってその賜物を受けず、かえってその賜物を隣人に対して乱用した」と語っています。

 ファリサイ人は、祈りにおいても、神に向かうことがありません。徴税人と自らを比較して、我が身の幸福を喜んでいるだけです。しかし、神は、彼が優越感に浸るために、豊かな賜物をお与えになったのではありません。神の御心を求めずに、感謝の言葉を口にしても、罪を犯すことになります。神への感謝さえ台無しにする自分第一の罪の恐ろしさに、愕然とさせられます。

 この罪から解き放たれるには、自分が隣人にも、神にも誇るべきものを持っていないことに気付くことです。そのために、キリストは、このたとえを語られました。そして、主の十字架によって自らの罪に目を開かれるとき、「神よ、憐れんでください」という祈りが偽りのないものとなります。

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