月刊誌リジョイス 聖書日課 2010年9月16日(木)

ルカ11章(2) 内側に宿る強欲・悪意

「あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。会堂では上席に着くこと、広場では挨拶されることを好むからだ。」(ルカ11:43)

 家内が柿の種を食べてわたしがピーナツを食べて、「柿ピー」の袋が全部無くなります。理由は単純です。家内は柿の種が好きで、わたしはピーナツが好きだからです。無理をすれば、わたしも柿の種を食べますが、それで好みが変わることはありません。

 主イエスによれば、律法学者やファリサイ派の人びとの好みは、会堂の上席に座ることや広場で挨拶を受けることです。彼らは仮に上席に座ることを断ったとしても、上席に座るように招かれたということが、彼らの誇りとなり、彼らの喜びとして残り続けます。行いを変えることができても、何を喜ぶかという「好み」はなかなか変えることはできません。

 主イエスは、彼らに向かって、「杯や皿の外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意に満ちている」(39節)と語られました。外側の行為が立派でも、内側の好みが強欲と悪意に汚染されていたら不幸です。自分ではどうすることもできない強欲と悪意が内側に住み着いていることを認め、主の十字架に寄りすがりましょう。

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