月刊誌リジョイス 聖書日課 2010年8月10日(火)

レビ1章 神を礼拝できることの幸い

牛を焼き尽くす献げ物とする場合には、無傷の雄をささげる。奉納者は主に受け入れられるよう、臨在の幕屋の入り口にそれを引いて行き、手を献げ物とする牛の頭に置くと、それは、その人の罪を贖う儀式を行うものとして受け入れられる。(レビ1:3-4)

 レビ記は、旧約の民イスラエルに与えられた礼拝の指針です。しかし、レビ記を学ぶことで、新約の民である私たちとキリスト教会も、重要な示唆が与えられます。礼拝は、神の選びと契約に基づく、神との霊的・人格的な交わりです。レビ記は、選びの民が「聖なる神」への礼拝を通して、自らも「聖なる民」とされるための行き届いた指針です。

 しかし、「献げ物」さえしていれば、神に近づき、神との間に平和な関係を作り出すことができるというわけではありません。それができるのは、ただ神の一方的な恵みによるのです。「主に受け入れられるよう」に細心の注意を払うよう求められている通りです。自分本位でなく、主の定めに従う礼拝こそ、主に喜ばれ「受け入れられる」礼拝となります。

 「焼き尽くす献げ物」を始めとする「献げ物」の規定は、神がイスラエルの人びとを礼拝へと招かれる「しるし」です。礼拝は、このような招きへの信頼と従順の応答です。献げ物の上に「手を置く」ことで、献げる者と献げ物は一つとなり、民が自分自身を献げる証しとなります。

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