月刊誌リジョイス 聖書日課 2010年6月11日(金)

ヨハネ19章 主の渇きと私たちの潤い

兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。(ヨハネ19:34-35)

 主は、十字架上で槍で脇腹を刺されたとき、血と水が識別できる仕方で流れ出ました。これは、腹水が溜まっていたことを表しているのでしょうか。主は、私たちと同じ肉体をお持ちで「人が死ぬ」という出来事のすべてを味わいつくされました。

 また、主イエスは、「わたしを信じる者は、決して渇くことがない」(6章35節)と語られたお方です。その主が、「渇く」(28節)と言われたとき、そこには肉体の渇きだけなく、神を求める霊的な飢え渇きも含まれています(詩42編3節)。渇きを体験された主が、神から満たされたその豊かさをもって、私たちを渇きから救い出してくださいます。

 聖書は、肉体の痛みについては、ほとんど語っていません。しかし、主の十字架の死は、確かに肉体の死でした。私たちの霊的な飢えと渇きのすべてを、主はご自分の肉体をもって全身全霊で受け止めてくださったのです。主は、ご自身の十字架の御苦しみを通して、私たちを潤そうとしてくださいました。主は、私たちを満たすために、ご自分のすべてを注ぎ出してくださったのです。

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