月刊誌リジョイス 聖書日課 2010年2月16日(火)

出エジプト32章 金の子牛礼拝

「さあ、我々に先立って進む神々を造ってください。エジプトの国から我々を導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです」(出エジプト32:1)

 シナイ山に登ったモーセは、なかなか下りて来ません。イスラエルの民は、先に進むこともできず、立ち往生を続けます。いつまで待ち続けるのでしょうか。この先、どうなるのでしょうか。

 イスラエルの民は、そのなかで、神の導きの確かさを思い起こし、神の真実に心を向けるべきでした。しかし、民は、不安に駆られて、目に見える偶像を求め、安易に不安を解消しようとしました。「先立って進む神々」を造ることをアロンに求めたのです。そして、金の子牛礼拝に陥ってしまいます。幕屋が神の熟慮による入念な礼拝施設であるのに比べ、金の子牛は一晩で仕上げた手抜き仕事の産物です。手軽に始めることができるのが、偶像礼拝です。

 指導者の不在に民が不安を感じること自体は、避けられないことであったでしょう。しかしその不安のときにどこに心を向けるかが大きな分かれ道でした。私たちが安易に入手できる方法に頼り、不安を打ち消すとしたら、現代の子牛礼拝です。見えるものに頼ることなく、御言葉の真実に固く立ち、神を待ちましょう。

 それならば、私たちは、そのような人生において、何によっていよいよ豊かに成長させられて、天の御国に到達できるのでしょうか。それも、やはり、神の言葉によってです。ですから、私たちは、生まれたばかりの乳飲み子のような熱心さで、神の言葉を慕い求めねばなりません。天の御国に到達する時まで、神の言葉を聞き続け、読み続けるように、とペテロは勧めています(2節)。

 赤ちゃんは、お母さんのおっぱいを無心に慕い求めるものです。私たちも、混じりけのない霊の乳、つまり、神の言葉を無心に慕い求めたいと願います。主は恵み深い方です。慕い求める者を決して拒まず、必ず神の生きた言葉をお与えくださって、いよいよ豊かに成長させてくださいます。偽りのない兄弟愛を抱いて、清い心で深く愛することのできる人間として(1章22節)成長させてくださるのです。この愛が育つように、御言葉を慕い続けましょう。

コントローラ

Copyright (C) 2010 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.