月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年7月20日(月)

創世記42章 家族関係のゆがみすら

「ああ、我々は弟のことで罰を受けているのだ。弟が我々に助けを求めたとき、あれほどの苦しみを見ながら、耳を貸そうともしなかった。それで、この苦しみが我々にふりかかった。」
しかし、ヤコブは言った。「…お前たちは、この白髪の父を、悲嘆のうちに陰府に下らせることになるのだ。」(創世記42:21,38)

 42章は、この章のどの場面にも登場する兄たちが焦点です。兄たちは、ヨセフの厳しさに神からの罰を感じ(21節)、不審な出来事に神の敵意を感じ取って震え上がります(28節)。父の嘆きの言葉(36節、38節)も、彼らの良心に鋭く刺さったでしょう。取り返しのつかない罪を犯してしまった兄たちの絶望的な苦しみ・後悔が胸に迫ります。

 しかし、神の大きな御手の中で、その罪は赦され、罪の行為は益に変えられました。このことがこれから明るみに出されるのです(45章5節)。主にあっては取り返しのつかない罪はないのです。

 ヨセフは神の大きな御手を感じ取り(9節)、兄たちを試しました(15節)。ヨセフが試したのは、表面的には「回し者かどうか」ですが、内実は、「投獄された兄弟を助ける兄弟愛を持っているかどうか」でした。やがて兄たちは、試練の中でこの愛を表します(44章16〜34節)。試練は彼らに益となり、彼らは神の民の祖にふさわしい者とされたのです。主は罪人を愛し、訓練されるお方です。計り知れない恵みの神です。

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