月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年7月13日(月)

創世記39章 主が共におられたので

主がヨセフと共におられたので、彼はうまく事を運んだ。彼はエジプト人の主人の家にいた。主が共におられ、主が彼のすることをすべてうまく計らわれるのを見た主人は、ヨセフに目をかけて身近に仕えさせ、家の管理をゆだね、財産をすべて彼の手に任せた。(創世記39:2-4)

 兄たちの妬みと憤りを買ったヨセフは、17歳の頃、エジプトに売られて行きました。彼は、ファラオの侍従長ポティファルに買い取られ、奴隷として仕えることになります。彼は、主人に忠実に仕えたにもかかわらず、投獄されてしまいました。

 この章で注目すべきは、何と言っても、「主がヨセフと共におられたので…」という言葉でしょう。

 「主が共におられたので」、ヨセフの手の業はすべて祝福され、主人の信任を受けました。「主が共におられたので」、ヨセフは主人の妻の誘惑を退け続け、その結果、彼女の逆恨みを買い、王の囚人をつなぐ監獄に入れられました。「主が共におられたので」、ヨセフは獄中においても監守長たちから信任を受けるようになりました。主はいつもヨセフと共におられ、ヨセフも主が共にいてくださることにいつも感謝して歩みました。

 逆風吹き荒れる時も、まぎれもない事実として、「主が共に」いてくださいます。まさかこの様な時に、と思えるときも主は言われます。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタ28章20節)。

コントローラ

Copyright (C) 2009 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.