月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年4月29日(水)

エゼキエル11章 捕囚の地に主の聖所

「人の子よ、エルサレムの住民は、あなたの兄弟たち、すなわちあなたの親族である兄弟たち、およびイスラエルの家のすべての者に対して言っている。『主から遠く離れておれ。この土地は我々の所有地として与えられている。』それゆえ、あなたは言わねばならない。主なる神はこう言われる。『確かに、わたしは彼らを遠くの国々に追いやり、諸国に散らした。しかしわたしは、彼らが行った国々において、彼らのためにささやかな聖所となった。』」(エゼキエル11:15-16)

 エルサレムはその忌まわしい罪のため主の裁きを受け、町は廃墟となり、主の栄光は神殿を去りました。民の重立った人々は捕囚としてバビロンに連れて行かれました。

 捕囚を免れた一般の人々は、悔い改めることもなく、なおエルサレムが自分たちの「所有地」であることを誇りに思っていたのです。エゼキエルは、彼らに向かって、主の栄光がエルサレムを去って、捕囚の地バビロンに移り、そこに主が「ささやかな聖所」を設けられたことを、告げねばなりませんでした。

 バビロンに連れて行かれた捕囚の民は、異境の地にあってどんなにみじめな思いをしたことでしょうか。契約の神にも見捨てられたという思いにとらわれた者も多かったでしょう。しかし、主の御心は、何と聖地エルサレムにではなく、捕囚の民のただ中に置かれていたのです。

 やがて主は、捕囚からの帰還の民に、「新しい霊を授け」、契約の民にふさわしい歩みができるようにしてくださいます(17-21節)。主の力は、まさに、弱さの中にこそ発揮されることとなりました(2コリ12章9節参照)。

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