いかがお過ごしでしょうか。せんげん台教会の川栄智章です。
教会の礼拝の中で聖餐式が執り行われ、信者は、裂かれたパンを取り、食べます。また、信者のために流された杯を取り、飲みます。そうすることによって、信者は、キリストの体と血を受け取ります。しかし、イエス・キリストを信じるということは、イエス様を天からの賜物として受け取るということです。
それでは、信者に対し、イエス様が賜物として与えられているとはどういう意味でしょうか。それは、イエス様にある永遠の命が信じる人々に与えられている、イエス様にある義が信じる人々に与えられている、イエス様にある罪の赦しが信じる人々に与えられている、イエス様にある神の子としての特権が信じる人々に与えられている、王であり、頭であるイエス様が、教会に与えられている、ということです。
この方に結び合わせられる時に、教会は初めて、この方の有益を受け取ることが出来るのです。
聖書には、次のように書かれています。「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」(ヨハネ6:56-58)