おはようございます。坂戸教会の酒井啓介です。
聖書では、人は土の塵から神が造られた、と教えています(創世記2:7参照)。私は、この土の塵が意味するところを知って、生活に大変役立っています。特に嫌なことが起きた時に、すぐに心を落ち着かせられるからです。
聖書では、土の塵の意味とは、価値がないということで、「塵にすぎない」(創世記3:19,詩編103:14)という表現も出てきます。特に神に対して、自分の分をわきまえる時にも用います。嫌なことが起きた時、私はそのことを思い起こして、神に対して、私が傲慢にならず、分をわきまえるようにと思えるのです。
私は本来塵なのだから、塵は大切にされないように、同じ扱いを受けても仕方ありません。だから、あるべき扱いを自分は受けている、と思えるのです。むしろ、自分自身が価値があるとか、偉いとか思い込むと、思い通りにいかない時、不平や不満を抱くかもしれません。しかし、人は塵から造られた価値のないものだと、聖書は教えます。
聖書には、この話に続きがあり、塵なのに神は宝へと大きく変えてくださることを教えています。神に対して、自分の価値のなさや低さを認める者を、神がその人を高く上げて祝福なさいます。明日は、このお話をいたします。