キリストへの時間 2022年10月30日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

久保浩文(松山教会牧師)

久保浩文(松山教会牧師)

メッセージ: 思い悩まずとも

【高知放送】
     

【南海放送】
     

 おはようございます。松山教会の久保浩文です。
 私は、この数年、毎朝日課にしていることがあります。それは、教会2階の玄関前に置いてある植木鉢に水を与えることです。

 その中の一つに、ハイビスカスがあります。それは数年前に、あるご婦人が、講壇横に置く花として献品して下さったものです。最初の年は、5月頃から秋の風を感じる頃まで、講壇の横の花台の上で、毎日のように真っ赤な花を次々と咲かせ、礼拝に来られた方々の心を癒し、和ませ、御言葉に向かう備えをさせてくれました。

 ハイビスカスは、品種も多く、花の色や形も豊富な常緑の木です。一般的に、観賞用として鉢植えにして育てることが多いようですが、沖縄では、地上の庭木として街路樹などに使われて、3メートル近い高さにまで成長するようです。私は、園芸の素人ですが、家庭園芸に詳しい教会員に助言を求めながら、世話をしています。夏場は、毎朝、たっぷりの水をやり、数日ごとに適度な肥料をやらなければなりません。冬が近くなる頃には、花を付けなくなり、葉っぱだけになりますが、翌年の開花に向けて、水やり肥料やりは、欠かせません。

 年を越すと、次の新芽が芽吹くために適当な長さに剪定をして、春が来るのを待ちます。翌年も、見事な花を咲かせてくれることを期待しながら、大きな鉢に植え替え、土も新しくします。そのかいあってか、ハイビスカスは、最初の頃よりも、一回りも二回りも大きく成長して、今では、礼拝に来る方達を玄関先で出迎える役割をしています。ハイビスカスの特徴として、花は、基本的に一日咲いて、翌日には花は萎み、落下します。いくら一度にたくさんの花をつけ、咲き誇っても、翌日には萎んで、早くも次の蕾が出て来るという繰り返しの、ある意味儚くもある花です。

 新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、私達の生活環境は、これまでとは大きく異なりました。ワクチン接種が進んできたとはいえ、職種によっては、今も尚、厳しい環境の中で、感染リスクを抱えながら、明日の生活のこと、仕事のことを考えずにはいられない方もおられるでしょう。私達は誰しもが、明日の事、これから先の事を「思い煩いながら」生きています。

 主イエスは、野原に咲く花をとおして、神の配慮について教えています。「野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていなかった。今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。」(ルカ12:27-28)と語りました。

 一日精一杯咲き誇って、翌日には、枯れて炉で焼かれてしまう野の花でさえも、神の御手の内にあるのです。神は、野の花、空の鳥でさえも相応しく養っておられます。それならば、神は、私達人間をなおさら心にかけ、養って下さらないはずはないのです。さらにイエスは、「神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ6:33)とも言われました。「神の国」とは、神の支配のことです。聖書の神は、時代や環境がどんなに変わったとしても、決して変わることのない唯一、信頼するに値するお方です。

 神は、私達に命を与えられただけでなく、一人一人のことを心にかけ、その日その人に必要なすべてのものを、相応しく備えて下さるお方です。私達は、神に全幅の信頼を置き、神の言葉に従うならば、必ずや思い煩いからも自由にされて、まことの平安と慰めが与えられるのです。



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