キリストへの時間 2022年10月16日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

久保浩文(松山教会牧師)

久保浩文(松山教会牧師)

メッセージ: あなたにとって大切な想い出とは

【高知放送】
     

【南海放送】
     

 おはようございます。愛媛県松山市にある松山教会の久保浩文です。
 皆様にとって、「大切な想い出」とは何でしょうか。一口に想い出と言っても、家族との想い出、職場での同僚との想い出、学校での友達との想い出など千差万別です。

 先日、私は、自分の書斎の片づけをしていて、書棚の上に段ボール箱がいくつかあるのが目に留まり、降ろして中を確認しました。それは、書棚に入りきらないファイル類の山でした。クリアファイルの一つ一つを手に取ってみると、かつて自分が大切と思って切り抜いていた新聞記事や、知人、友人などから頂いたハガキやカード、手紙の類がファイルに入れられていました。その中には、30年前のものから、数年前のものまであり、よくこんなものまで取って置いたなと、我ながら感心をしながら見ました。

 面白いことに、一つ一つの記念礼拝の時の資料や手紙類などに目を通していますと、その時の状況とか様子が甦ってきます。あたかもつい最近の出来事のように、そこにいた方が話した言葉まで鮮明に思い出されてきました。私は、専門的なことは分かりませんが、人間の脳の働き、記憶力というものに驚きを感じます。

 新約聖書の冒頭には、共観福音書と呼ばれるマタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書の三つの福音書があります。福音書の記述にそれぞれに特徴がありますが、そのすべてに、主イエス・キリストと弟子たちとの最後の食事のことが記されています。いよいよ主イエス・キリストが、ユダヤ人の指導者達によって捕らえられ、引き渡されるという前の夜のことです。この食事は、過越しの食事と呼ばれます。過越し祭は、ユダヤの三大祭りの一つで、かつて、ユダヤ人達がエジプトで奴隷として苦役に喘いでいた時に、神が、ユダヤ人達をエジプトから救い出されたことを記念するために、毎年行われていました。ニサンの月の14日の夕方に小羊一頭を屠り、焼いて、酵母を入れないパンと苦菜を添えて食べます。

 主イエスは、御自分の最後が近いことを知り、弟子たちとこの食事をされることを切望していました。主イエスは、「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越しの食事をしたいと、わたしは切に願っていた。」(ルカ22:15)と言われました。主イエスは、この時に、キリスト教会の礼拝で守られている聖餐式を制定されました。聖餐式は、信仰を持ち、洗礼を受けた方だけが与ることが出来る礼典です。私も、かつて、早く聖餐式のパンとぶどう酒を頂きたいと思ったことがあります。

 イエスは、まずパンを取り、「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」(ルカ22:19)と、またぶどう酒も、「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」(ルカ22:20)と言われて、弟子たちに与えました。パンは、イエスの十字架上で裂かれた肉体を表し、ぶどう酒は、イエスの流された血を表しています。

 主イエスは、世の罪を取り除くために神が遣わして下さった真の神の小羊です。神の小羊であるイエスは、私達のために十字架の上で屠られ、完全な罪の贖いをして下さったのです。イエスの言われる「わたしの記念」とは、ある過去の出来事を記念するメモリアルではなくて、あることを「想い起こす」こと、「現在化する」ことを意味しています。

 イエスが復活された後、弟子たちは、繰り返し聖餐式を守ってきました。その度に、かつて2000年前に、主イエス・キリストが十字架の上で裂かれた肉体と流された血潮は、ほかでもない私のためであることを覚え、想い起こしてきました。あたかもそれが、昨日の出来事のようにして想い起こしてきました。

 聖霊の働きによって、信仰をもって、パンとぶどう酒に与ることによって、イエスがその場におられ、イエスと結び合わされて、罪の赦しと永遠の命と多くの祝福が与えられるのです。また、一緒に聖餐式に与っている方達も、イエスにあって兄弟姉妹として、同じ恵みが与えられることを覚えるのです。どうか、ラジオをお聞きのあなたも、一日も早く、主イエス・キリストを信じて、ご一緒に聖餐式の恵みに与れるようにお祈りします。



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