【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。高知県芸陽教会の大宮季三です。
高知県出身の有名人といえば、なんと言っても、第一位は坂本龍馬です。ところが、この坂本龍馬を巡って、数年前に、高知県を震撼させるようなニュースがありました。それが、「教科書から坂本龍馬の名前が消える」というニュースです。簡単に言うと、「坂本龍馬の功績は教科書に載るほどではない!」と専門家たちが判断しているというニュースでした。しかし、「やはり坂本龍馬の功績は大きい!」という声が、高知県内からは多く聞こえたようです。
改めて、坂本龍馬の功績を考えると、なんと言っても、彼の大きな働きは、薩摩藩と長州藩の同盟である、薩長同盟の仲介を務めたことです。当時、大きな力を持っていた二つの藩が同盟を結び、江戸幕府を倒す大きな一歩となります。薩長同盟を結ぶ前、薩摩藩と長州藩は、犬猿の仲と言われるような状態でした。この間に坂本龍馬が入り、同盟が成立したと言われています。そこには、坂本龍馬の「薩摩と長州が揉めている場合ではない!」「薩摩も長州もない!」という考えが、根底にあったようです。坂本龍馬の働きが両者の同盟へと繋がり、日本の歴史を大きく動かすことになります。
ところで聖書は、さらに大きなスケールを持った書物です。聖書には、イエス・キリストを信じる者の間には「ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」(ガラテヤ3:27-28)と語ります。国籍、出身地、身分、境遇、性別の違いは当時、現代以上に大きな壁でした。それらの違いは、会話をすることや、同じ場所にいること自体を阻むほどのものです。この世において生じる人と人との間のあらゆる壁が、イエス・キリストにおいて取り払われる、と聖書は語るのです。
現実の人間関係において、私たちは、多くの違いに目がいきます。事がうまくいっていればいいのですが、うまくいかないときには、「違い」を強調します。「あの人は県外の出身だから」、「あの人は年齢が上だから」、「あの人は若いから」、「あの人は立派な仕事についているから」、「あの人はお金持ちだから」、「やっぱり男性には」、「やっぱり女性には」。いろんな違いに目を向けて、それはしょうがない、と自分を納得させようとしてしまいます。ですが聖書は、人間の違いではなく、人間が神の前に同じであることを強調します。
坂本龍馬の頭の中は、あくまでも、幕府を倒すこと、あるいは、その先にある諸外国との関わりという考えの中です。つまり、幕府や諸外国との対立関係、幕府と諸外国との壁は、依然として解消されていません。しかし聖書は、神の前に人間は皆、平等であり、同じであることを語ります。人間は皆、神の前に罪人であるという点で同じである、と言います。そしてまた、神の前に平等に、イエス・キリストにおいて罪が許されると告げます。
イエス・キリストの救いの前に、人間は皆、同じです。誰が偉いわけでもなく、神様の前に罪人であり、神様の前にイエス・キリストにおいて救われる。キリスト教会は、そのような共同体として、この地上に建てられています。