キリストへの時間 2022年4月10日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下正雄(ラジオ牧師)

山下正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 平和の君

【高知放送】
     

【南海放送】
     

 おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
 きょうは「棕櫚(しゅろ)の日曜日」(パームサンデー)と呼ばれるキリスト教の記念日です。この日、イエス・キリストは、城壁都市エルサレムへと入城されました。その時、人々は棕櫚の枝(なつめやしの枝)を手に取って、キリストを迎えたところから(ヨハネ12:12参照)、キリスト教会はこの日を「棕櫚の日曜日」と呼ぶようになりました。イエス・キリストにとって、これが、地上での生涯で最後のエルサレム入城となりました。というのは、その週の金曜日に十字架にお掛りになったからです。

 ユダヤ民族にとって、棕櫚の枝を手に持つことには、大きな意味がありました。それは、勝利の象徴だったからです(1マカバイ記13:51参照)。ちなみに、高校野球のテーマ曲「栄冠は君に輝く」(作詞:加賀大介)の三番の歌詞の中に、「若人よ いざ 緑濃き棕櫚の葉かざす」とあるのをご存じの方も多いかと思います。その歌詞も、勝利をイメージしたものです。

 さて、エルサレムの人々は、まるで戦いに勝利した王を出迎えるかのように、イエス・キリストを迎えました。しかし、エルサレムにお入りになるイエス・キリストの姿はというと、まったく勝利した王様のようではありませんでした。勇ましい軍馬ではなく、よたよた歩くロバの背中に乗ってこられたからです。それもロバの子の背中です。

 実は、このキリストの姿は、旧約時代の預言者ゼカリヤによって記された預言の言葉の通りです。そこにはこう記されています。「娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者 高ぶることなく、ろばに乗って来る 雌ろばの子であるろばに乗って」(ゼカリヤ9:9)。

 この預言に記された王の姿は、勝利者ではあるものの、決して勇ましい姿ではありません。戦車や軍馬や弓を断ち切る平和の王、それもロバの子に乗った柔和な王の姿です。この平和の王であるキリストは、人々を罪から救うために、身代わりとなって十字架にお掛りになったお方です。

 それに対して、今なお戦争が絶えない世界を思うときに、人間の罪深さを痛感します。武器を断ち切るどころか、全人類をも滅ぼすことができるほどの兵器を造り出し、自分の命を捧げるどころか、他人の命を犠牲にして、自分たちが繁栄を楽しもうとする世界です。一人の小さな声では、到底世界を動かすことなどできないと感じる程、わたしたちは無力感を覚えます。まるで、ロバのように頼りない存在です。

 しかし、「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ26:52)と教えてくださったのは、イエス・キリストです。あえて、ロバを選んで入城されるキリストです。十字架の死に至るまで、人々に仕えるキリストです。そこに、平和の秘訣を見るような思いがします。

 罪の世界が完全に終わりを迎えるまで、人と人、国と国との争いは絶えないかもしれません。しかし、それでも「平和を実現する人々は、幸いである」(マタイ5:9)とおっしゃるイエス・キリストの言葉を心に刻み、小さな声を上げ続けて行きたいと、昨今の悲惨な世界の状況を見て思います。どうか平和の君であるイエス・キリストが、一日も早く来てくださいますように。



※ホームページでは音楽著作権の関係上、一部をカットして放送しています。
Copyright (C) 2022 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.