キリストへの時間 2022年3月13日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

久保浩文(松山教会牧師)

久保浩文(松山教会牧師)

メッセージ: 大切な宝ものであるあなた

【高知放送】
     

【南海放送】
     

 おはようございます。松山教会の久保浩文です。
 突然ですが、あなたにとって今、大切にしている物、想い出深い品物は何でしょうか。それは、人それぞれに異なるでしょう。ある人にとっては、何の変哲もない、つまらない物であっても、ある人にとっては、とても大切なかけがえのない物である、そういうこともあるのではないでしょうか。

 ある時、ある方との会話の中で、その方が、今も大切にしておられる物を見せて下さいました。それは、手垢のついた、普通に売られているクリスチャン・グッズのキーホルダーでした。それは、その方の幼くして病気で亡くなった息子さんが、父親の誕生日プレゼントとして、彼に贈ったものでした。彼は、亡くなった息子さんの唯一の想い出の品、形見の品として自動車のキーを入れて、何処に行くにも肌身離さずに、息子さんとドライブをしているかのように持ち歩いていました。彼にとって形見のキーホルダーには、生涯忘れることの出来ない、息子さんとの様々な想い出の詰まった、かけがえのない大切な宝物でした。私はその話を伺って、とても胸が熱くなりました。

 イエス・キリストの語られた譬え話の一つに、無くした1枚の銀貨を、見つかるまで念入りに探し求める女の人の事が語られています(以下ルカ15:8-10参照)。この女の人は、銀貨を10枚持っていて、その中の1枚を薄暗い家の中で無くしたのです。そこで彼女は、「ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れて」捜します。当時のパレスチナの家は、窓もなく、昼間でも薄暗い部屋でした。その暗がりの中で、ともし火を頼りに、小さな1枚の銀貨を探し出すことは、容易ではありません。部屋の中の家具を横にどけ、ちらばっている物を片付けながら、家中を掃きます。掃きながら、全神経をとがらせながら、目と耳に集中して、ともし火に反射するわずかな光、銀貨の転がるかすかな音を捕らえようとします。

 なぜ、そこまでして、真剣に探すのでしょうか。この銀貨1枚は、当時の1日の労働賃金に相当します。1日働けば取り戻せる金額です。無くした時はショックでしょうが、探し出すことが不可能に近いことを思えば、大抵の人は、すぐさま諦めるでしょう。しかし、この女の人は、決して諦めませんでした。それは、この1枚の銀貨が、彼女にとって、かけがえのない品物だったからです。銀貨十枚を首飾りのようにつないで、大切にしていた品物でした。1枚でも無くしたのでは、役に立たないのです。全部揃っていて、はじめて価値のある物なのです。親が、嫁入りの時に持たせてくれた物かもしれません。彼女にとって、この1枚は、絶対に諦めることの出来ない大切な物でした。ですから、見つけるまで、必死になって注意深く捜します。そうして、やっと見つけた時の喜びは、ひとしお大きいのです。彼女は、友達や近所の女たちを集めてこう言います。「無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください。」
 
 イエス・キリストにとって、私たち一人一人は、大切な無くしてはいけない1枚の銀貨です。神を知らないで、信じないで、自分の思う通りに勝手気儘に生きることは、自由に思えます。しかし、その人はうす暗い部屋の片隅に転がっている1枚の銀貨なのです。お金は僅かな金額ではあっても、人の手許にあって、使用されてはじめてその価値を持ちます。ただ床に転がっているだけでは、ただの金属にすぎません。

 私たちが神から離れるということは、この無くした1枚の銀貨と同じで、人生の本来の目的も、意味も、見失っている事なのです。あなたは、自分のことを無価値な存在と思ってはいませんか。神は、私たちをお造りになられただけでなく、その全てを受け入れて、愛して下さっています。私たちは、神の手に戻って初めて、本当の自分を見出し、意味のある人生を生きられるのです。私たちは、自分の力で、神を見つけることは困難です。むしろ、イエス・キリストの方が、今も失われた「あなたを」真剣に、諦めずに探し求めておられます。そして見つかれば、大きな喜びとして下さいます。



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