おはようございます。花見川キリスト教会牧師の中山仰です。
私は、大学生の時に、港区の田町で印刷屋の発送部門で働きました。そこで、製本職人が指を切断するという事件に出会いました。
裁断機は、安全のために左右両側の手前にスイッチがあり、両方を同時に押さないと切れないことになっています。ところが、慣れてくると操作が面倒なために、右側を初めから固定しておいて、左のスイッチだけを押せば稼働するように変えてしまっていたのです。右手で紙を揃える微調整をするために、その方が便利なのです。
はじめに、歯の外側に紙を固定するための平らな金属が降りて来ます。うっかりその金属に手が挟まると、次の瞬間、歯が降りてきて指は簡単に切断されてしまいます。医療技術の発達により、すぐに縫い合わせると外見は元の形に戻りますが、痛みや痺れは残るようです。その被害を見届けたときのショックと言ったらありません。その恐ろしさは、自分の指が切断される夢を見る程です。
このような状態について、自分の罪と重ね合わせてしまいました。やがて、必ず罪の裁きのための歯が降りてくることを知りながら、それに気づかずに、いや気が付こうとせずに、人生をうろうろしてしまっていたものです。
聖書には、「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネ3:17)とあります。神は、断罪するためでなく、私たち、神から離れている者を救うためにおいでくださったとあります。キリストにあって、救いの人生をご一緒に歩みませんか。