おはようございます。神奈川県横浜市にある綱島教会で牧師をしております、小宮山裕一です。どうぞよろしくお願いします。
この放送をラジオでお聞きの方もおられると思います。私は、ラジオが昔から好きです。テレビよりも、パーソナリティが身近に感じます。もちろんそんなことはないのですが、あたかも自分だけに語りかけているような、そんな気分になるのです。
不特定多数の大勢の人々に語りかけることがある一方で、私たちは、自分に語りかける声を聞きます。思わず耳を傾けたくなるのは、自分に語りかける声を聞いた時です。自分のこととして、その声を受け止めるときです。
聖書を読むと、不思議なことに、神がまさに自分に語りかけている、そう感じることがあります。自分の抱えていた問題のヒントになるような言葉があります。そっと背中を押してくれるような言葉もあります。自分のこれまでの歩みを振り返らざるを得ない、そんなこともあるのです。
聖書の中にこんな言葉があります。「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。」(2テモテ3:16)
聖書は、神が私たちに語りかけるラジオパーソナリティのようなものかもしれません。聖書という書物を通して、神が、この私に語りかけてくださるからです。ラジオのスピーカーに耳を傾けるように、この方の声に耳を澄ませてみませんか。