ご機嫌いかがですか?川越教会牧師、木村恭子です。
イエスの十字架による罪の赦し、信仰によってイエスと結ばれること、そして、キリスト教信仰を「永遠の命への救い」と考えること、それは間違っていません。ですが、そこで止まってしまうと、信仰は個人的なものになりがちです。
しかし、イエスは、「一人の羊飼いに導かれた羊は、一つの群れになる」と教えています。「群れ」ですから、個人の救いでは終わらないということです。別の言い方をするなら、イエスを信じる者たちは、キリストに結ばれて「神の国の、神の民となる」のです。
そういう意味では、教会は、地上の神の国であり、神の民の集まりです。そしてさらに、神の国は、地上と天井を貫いて一つです。ですから、今イエスを主と信じて地上の教会に加えられている私たちと、既に地上生涯を終えたキリスト者たち、さらに、将来イエスを信じる人々も含めて、みんなが、神の国の神の民。やがて一つの群れになる。これは、本当に壮大な教えです。
いつの日か、神の国が完成する時に、私たちはキリストに結ばれた神の民として、新しい命を生きることができる。ここまでが、イエスの教えるキリスト教です。「こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。」(ヨハネ10:16)のです。