いかがお過ごしでしょうか。せんげん台教会の川栄智章です。
何かを本当の目的とは違う目的のために使ったなら、どんなことになるでしょう。たとえば、顔の肌の潤いを保つためにと、車用のワックスなんかを顔に塗ったら、どうなるでしょうか。とんでもないことになってしまいますね。また、冷蔵庫のドアを開け放して、部屋を涼しくしようとしたら、どうなるでしょうか。部屋は、余計に暑くなってしまいます。車用のワックスは、車のボディを美しく保つためのものであり、冷蔵庫は、ドアを閉めて、食料品を冷やして保存するためのものだからです。車用のワックスも冷蔵庫も、作られた目的のために使用する時、役目を果たし、効果を発揮することができるのです。
それでは、人間を造ったのは誰でしょうか。人間を造ったのは、神様です。詩編100編には、次のように書かれています。「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。知れ、主こそ神であると。主はわたしたちを造られた。」(詩編100:1,3)
神さまが人間を創造された目的は、人間が神さまを知り、神さまを喜ぶことでした。岩とか木とか子猫は、目に見えない神さまを知ることも、喜ぶこともできません。もし、私たちが、目に見えない神さまを喜ぶために生きているなら、神さまが私たちを造った目的に沿って生きているということが言えるでしょう。そして、神さまの下にある私たちの喜びは、尽きることなく、いつまでも続くことでしょう。