聖書を開こう 2021年8月5日(木)放送     聖書を開こう宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ:  命と安らぎのための戦い(エステル9:11-19)



 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 わたしが十代のころ、今からおよそ半世紀前のことですが、外国の文化やそこに生きている人たちと直接交流を持つことは、今の時代と比べてそんなに簡単なことではありませんでした。しかし、今の時代はフェイスブックやツイッター、インスタグラムなどのSNSの発展のおかげで、その気になれば今までそんなになじみのない国の人たちと交流を持つことができます。

 わたし自身、その恩恵に与って色々な国の人たちとの交流を楽しませていただいています。ありがたいことに、機械翻訳の正確さの向上も手伝って、日本語で話しかけてくる人もいます。多少は変な日本語でも、言いたいことはちゃんと伝わってきます。異なる文化や考え方に触れることで、自分の常識が必ずしもその国の人の常識でないことに気付かせられますし、その逆のこともあります。

 そんな中で思うことは、当たり前のことですが、一人ひとり、自分たちの国の文化や歴史に誇りを持っているということです。たとえそれが私自身の目から見て奇異なことと感じられても、そこに生きる人たちにとっては誇りと感じている事柄がいくらでもあります。

 これは聖書を読むときも同じです。特に旧約聖書はユダヤ民族の歴史が絡んでいますので、ユダヤ人がそれを読むのと同じ気持ちで読むことは中々に難しさを感じます。とりわけ、今学んでいる『エステル記』の場合には、神の「か」の字も出て来ませんから、同じ神を信じるクリスチャンとして宗教的な意味での共感を見出すことにも苦労を感じます。

 そんな難しさを抱えながら、今日も学びを続けていきたいと思います。

 それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は旧約聖書 エステル記9章11節〜19節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 その日、要塞の町スサの死者の数が王のもとに報告された。王は王妃エステルに言った。「要塞の町スサでユダヤ人は500人とハマンの息子10人を殺し、滅ぼした。王国の他のところではどうだったか。まだ望みがあるならかなえてあげる。まだ何か願い事があれば応じてあげよう。」エステルは言った。「もしお心に適いますなら、明日もまた今日の勅令を行えるように、スサのユダヤ人のためにお許しをいただき、ハマンの息子10人を木につるさせていただきとうございます。」「そのとおりにしなさい」と王が答えたので、その定めがスサに出され、ハマンの息子10人は木につるされた。スサのユダヤ人はアダルの月の14日にも集合し、300人を殺した。しかし、持ち物には手をつけなかった。王国の諸州にいる他のユダヤ人も集合して自分たちの命を守り、敵をなくして安らぎを得、仇敵7万5千人を殺した。しかし、持ち物には手をつけなかった。それはアダルの月の13日のことである。14日には安らぎを得て、この日を祝宴と喜びの日とした。スサのユダヤ人は同月の13日と14日に集合し、15日には安らぎを得て、この日を祝宴と喜びの日とした。こういうわけで、地方の町に散在して住む離散のユダヤ人は、アダルの月の14日を祝いの日と定め、宴会を開いてその日を楽しみ、贈り物を交換する。

 前回の学びでは、かつてハマンが企てたユダヤ人根絶の計画に対して、モルデカイによって新たに立案された勅令が実行された日の出来事を取り上げました。その日の戦果はペルシアの王クセルクセスの耳にもさっそく入ります。127の州を持つ巨大な帝国を治めるクセルクセスにとって、そこに散在するユダヤ民族の身に何が起ころうとも、ただ帝国内に起きた民族の小競り合いとして、傍観していることもできたかもしれません。しかし、王妃エステルがユダヤ民族の出身であること、そして、自分が最も信頼する家臣モルデカイがユダヤ人であることを知った王にとっては、もはや他人事ではありません。

 スサでの戦果を聞いた王自らが、他の町での様子を気にかけ、他に何が必要かを王妃に問いかけます。

 「まだ望みがあるならかなえてあげる。まだ何か願い事があれば応じてあげよう。」

 この王の問いかけに対して、エステルはこう答えます。

 「もしお心に適いますなら、明日もまた今日の勅令を行えるように、スサのユダヤ人のためにお許しをいただき、ハマンの息子10人を木につるさせていただきとうございます。」

 美貌を競って王妃の座を勝ち取ったエステルの口から、こんな残虐な言葉が発せられたのだと思うと、幻滅を感じるかもしれません。もちろん、これはエステルひとりの願いではありません。その背後にはモルデカイの存在があり、モルデカイは部下たちの情報に基づいて、最小限の必要をエステルに言わせたのでしょう。

 この願いは、決して500人の殺害では飽き足らず、もっと血を見たいという王妃の残虐な願いではありません。勅令の延長はスサの町に限られています。つまり、目の届かない帝国内すべての州にまで憶測で勅令の延長を願っているのではありません。自分たちのいる町で目にした情勢に基づいて、まだ自分たちの命に危険が迫っている事を認識してのことと思われます。

 現実問題として、広大な広さを持つペルシア帝国で、この日に何がどのような情勢であるのかをたった1日のうちで把握することは困難です。王自身でさえ「王国の他のところではどうだったか」と状況を掴み切れていないようです。たとえできたとしても、スサの町から127の諸州に勅令の延長を発布しても、遠方の州では知らせが届いたころには、日が過ぎてしまっているため、「1日延長」という意味の解釈に混乱が生じてしまいます。そう思うと、スサの町の情勢からスサの町に限って勅令の1日延長を願ったことは、抑制された判断だったと言えるかもしれません。

 二つ目の願いである敵の遺体を木につるすという行為は、現代的な視点から見れば、残虐行為以外の何物でもありません。ただユダヤ人にとって、木につるされた遺体には特別な意味がありました。それは申命記21章23節にこう記されているとおりです。

 「木にかけられた死体は、神に呪われたものだからである。」

 つまり、ユダヤ人根絶を企て、それを実行しようとした者たちは、神に呪われたものである、ということを示そうとしたのでしょう。また、神にのろわれた者であるがゆえに、朝までつるして置くことが禁じられていました。ですから、つるされた遺体も日が沈むまでには埋められたと思われます。

 結果として、スサでは新たに300人の敵が滅ぼされ、遅れて入ってきた報告を集計すると帝国内の他の町では7万5千人にも上る敵が殺されています。これは決して少ない数ではありません。この事実をどう受け止めるかは難しい問題です。ただ、確実に言えることは、ハマンの企てた計画がそのまま無抵抗のままに実行されていたとすれば、それよりも大きな数のユダヤ人の命が失われていたことは確かです。そしてここでも「持ち物には手をつけなかった」と繰り返されます。ユダヤ人の反撃が、決して略奪目当ての暴徒化した反撃ではなく、自分たちの命を守るための行動であったことを示したいのでしょう。

 こうして3日目のアダルの月の15日には安らぎを得て、この日を祝宴と喜びの日としました。ここにはユダヤ人の側の犠牲者の数には触れられていません。文字通り無傷であったのか、それとも、ユダヤ人の圧倒的勝利に重点を置きすぎたために、そうした真実が隠されているのかも知れません。確かにユダヤ人にとって喜びの日ですが、多くの犠牲が払われたことにも思いを至らせながら、この『エステル記』を読む必要を覚えます。

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