ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
わたしが十代のころ、今からおよそ半世紀前のことですが、外国の文化やそこに生きている人たちと直接交流を持つことは、今の時代と比べてそんなに簡単なことではありませんでした。しかし、今の時代はフェイスブックやツイッター、インスタグラムなどのSNSの発展のおかげで、その気になれば今までそんなになじみのない国の人たちと交流を持つことができます。
わたし自身、その恩恵に与って色々な国の人たちとの交流を楽しませていただいています。ありがたいことに、機械翻訳の正確さの向上も手伝って、日本語で話しかけてくる人もいます。多少は変な日本語でも、言いたいことはちゃんと伝わってきます。異なる文化や考え方に触れることで、自分の常識が必ずしもその国の人の常識でないことに気付かせられますし、その逆のこともあります。
そんな中で思うことは、当たり前のことですが、一人ひとり、自分たちの国の文化や歴史に誇りを持っているということです。たとえそれが私自身の目から見て奇異なことと感じられても、そこに生きる人たちにとっては誇りと感じている事柄がいくらでもあります。
これは聖書を読むときも同じです。特に旧約聖書はユダヤ民族の歴史が絡んでいますので、ユダヤ人がそれを読むのと同じ気持ちで読むことは中々に難しさを感じます。とりわけ、今学んでいる『エステル記』の場合には、神の「か」の字も出て来ませんから、同じ神を信じるクリスチャンとして宗教的な意味での共感を見出すことにも苦労を感じます。
そんな難しさを抱えながら、今日も学びを続けていきたいと思います。
それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は旧約聖書 エステル記9章11節〜19節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
前回の学びでは、かつてハマンが企てたユダヤ人根絶の計画に対して、モルデカイによって新たに立案された勅令が実行された日の出来事を取り上げました。その日の戦果はペルシアの王クセルクセスの耳にもさっそく入ります。127の州を持つ巨大な帝国を治めるクセルクセスにとって、そこに散在するユダヤ民族の身に何が起ころうとも、ただ帝国内に起きた民族の小競り合いとして、傍観していることもできたかもしれません。しかし、王妃エステルがユダヤ民族の出身であること、そして、自分が最も信頼する家臣モルデカイがユダヤ人であることを知った王にとっては、もはや他人事ではありません。その日、要塞の町スサの死者の数が王のもとに報告された。王は王妃エステルに言った。「要塞の町スサでユダヤ人は500人とハマンの息子10人を殺し、滅ぼした。王国の他のところではどうだったか。まだ望みがあるならかなえてあげる。まだ何か願い事があれば応じてあげよう。」エステルは言った。「もしお心に適いますなら、明日もまた今日の勅令を行えるように、スサのユダヤ人のためにお許しをいただき、ハマンの息子10人を木につるさせていただきとうございます。」「そのとおりにしなさい」と王が答えたので、その定めがスサに出され、ハマンの息子10人は木につるされた。スサのユダヤ人はアダルの月の14日にも集合し、300人を殺した。しかし、持ち物には手をつけなかった。王国の諸州にいる他のユダヤ人も集合して自分たちの命を守り、敵をなくして安らぎを得、仇敵7万5千人を殺した。しかし、持ち物には手をつけなかった。それはアダルの月の13日のことである。14日には安らぎを得て、この日を祝宴と喜びの日とした。スサのユダヤ人は同月の13日と14日に集合し、15日には安らぎを得て、この日を祝宴と喜びの日とした。こういうわけで、地方の町に散在して住む離散のユダヤ人は、アダルの月の14日を祝いの日と定め、宴会を開いてその日を楽しみ、贈り物を交換する。