キリストへの時間 2021年11月28日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

唐見敏徳(忠海教会牧師)

唐見敏徳(忠海教会牧師)

メッセージ: アドベントらしさについて

【高知放送】
     

【南海放送】
     

 『キリストへの時間』をお聞きのみなさん、おはようございます。忠海教会の唐見敏徳です。今回が4回目、そして今月最後のメッセージとなります。

 教会のカレンダーでは今日からアドベントに入ります。待降節あるいは降臨節などと訳されます。この言葉は、何かがやってくること、到来、を意味するラテン語のアドウェントゥス(Adventus)からきています。何の到来かというと、それは聖書が語る約束の救い主イエス・キリストです。さらに言えば、クリスマスの晩にベツレヘムにお生まれになった幼子としてのイエスであり、また再び地上に来られすべてを完成される再臨の主としてのイエスでもあります。

 一般的にアドベントでイメージするのは前者の方です。この時期に教会の礼拝で説教される聖書個所は、受胎告知、インマヌエル預言、マリアとヨセフの旅、東方の博士たちなど、いわゆるクリスマス物語で描かれる内容が多いでしょう。しかし中世に入るまで、アドベントにイエス・キリストのご降誕を覚えるという要素はほとんどなく、再臨の主としてのイエスを待ち望むことが中心だったといわれています。そして、昨年のアドベントはその意味と意義についてより深く考える機会になりました。

 振り返ってみると、昨年のアドベントは新型コロナウイルス感染の「第3波」の時期と重なりました。多くの教会で礼拝を中止するか、通常とは違う形での礼拝を余儀なくされました。私の牧会する忠海教会では、会堂の窓を開けて換気をよくし、座席の間隔を広くし、マスク着用、手洗いなどを徹底しての礼拝でした。日曜日ごとにアドベントクランツのキャンドルを灯していくのですが、昨年はキャンドルの減りがとても遅かったです。

 それはどういうことかというと、礼拝後の交わりの時間がなかったということです。飲食を伴う集まりは感染リスクが高いということで、愛餐会や子供のためのクリスマスなどは中止になりました。正直なところ、残念な思いもありました。およそ例年とは異なるアドベントを過ごしつつ、ではアドベントらしさとは何だろうかという問いが生まれました。

 そのような時、教会でクリスマスのビデオを作ることを決めました。いろいろな面で活動が制限される中、コロナ下でもできる何かをしようということになり、クリスマスプレゼントとしてビデオを作成することになったのです。外出が難しい状況でしたから、それぞれの自宅で見てもらおうと考えてのことでした。内容は、例年クリスマスイブに行っているキャンドルサービスをベースにした聖書朗読と賛美を組み合わせたものです。それで預言書や福音書など関連する聖書個所を読み、賛美歌を聞きながら、台本を書いていきました。

 そのとき改めて気づいたことがありました。それは、主イエスのご降誕に関連する描写、それを預言している場面、そして主イエスが再び来られる状況、つまりアドベントに関する聖書個所に暗い背景があるということです。人々の嘆き、苦しみ、とまどいといった暗いトーンが通奏低音として流れていて、一般にアドベントで連想される明るいイメージとは異なるものです。

 これは不思議でもなんでもなくて、いわば必然なのです。なぜなら、もしそこに嘆きや苦しみがないとしたら、そもそも救い主がこの世に来られる必要はないからです。主イエスは、ご自分の民の嘆き、悲しみを聞き上げ、その救いのためにかつて来られ、そして再び来られます。わたしたちは、その痛みを感じつつ、救い主の到来を待ち望むのです。そのように考えると、コロナ禍で様々な制限の下で過ごした昨年のアドベントは、ある意味でアドベントらしいアドベントだったといえるかもしれません。

 さて、今年のアドベントはどのように過ごすことになるのでしょうか。それがどのようなスタイルであれ、あなたの心に救い主イエス・キリストが到来されることを祈ります。



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