キリストへの時間 2021年10月10日(日)放送

大宮季三(芸陽教会牧師)

大宮季三(芸陽教会牧師)

メッセージ: 価値をつける親の愛

【高知放送】
     

【南海放送】
     

 おはようございます。芸陽教会の大宮季三です。
 新型コロナウイルスの影響で、多くの企業の経営が悪化してしまった一方で、多くのIT企業が業績を伸ばしました。「テレワーク」「オンライン会議」「オンライン食事会」「オンライン帰省」など、インターネットの使用時間と扱われる情報量は一気に増えました。

 それに伴い、ノートパソコンやタブレットの需要が急増し、供給が追いつかないというニュースもありました。ノートパソコンも、タブレットも決して安くありません。10万円以上する物も少なくありません。ですが多くの人が大金を払い、ノートパソコンやタブレットを買います。多くの人にとって大金を支払う価値があるものですので、「ノートパソコンを買うのに10万円払った」と聞いても、特別驚くことはありません。

 ですがもし、インターネットができず、書類も作れないことがわかっているノートパソコンを買うのに「10万円払った」と聞くと、びっくり仰天です。普通はそんなものに10万円の価値を見いだせないからです。反対にその人は、私には見えていない価値を見いだしているからこそ、大金を払うわけです。聖書が示す真の神の真の愛とは、このようにインターネットができず、書類も作れないノートパソコンに大金を支払うようなものです。

 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」(ヨハネ3:16)聖書は証しします。神は、神の独り子であられるイエス・キリストをこの地上に遣わされました。クリスマスはそれを祝う日ですが「神が独り子をお与えになった」という言葉は、イエス・キリストが人間の肉体を取ってこの地上に来られたこと以上に大きな意味を持っています。それは「イエス・キリストの命を与える」という意味です。十字架でのイエス・キリストの死は、罪人であるこの世の人々が救われるために神の独り子の命が捧げられた出来事でした。

 神の前に、この世の人間は独り子の命を与えるほどの価値があるから、神様は独り子をお与えになられたのではありません。そうではなく、私たちが滅びないために、私たちの命に対して、神の独り子の命という価値を神様が見いだしてくださった。これが神の愛です。

 神の愛は、親が子どもに注ぐ愛からも考えることができます。私が小学生の頃、母親が部屋を掃除をしてくれていた時に、「これは捨てていいか?」と聞かれて「これはいい。」「これはあかん。」と一つずつ答えることがありました。その時母親に「捨てていい」と言った物で「これはお母さんは捨てられへんからこれは自分で捨てて。」と言われる物がありました。それは、私が図工の授業で作ってきた作品でした。

 私は、図工や美術の才能が全くなく、自分で満足いく作品を作り上げた記憶がありません。ですから、私にとって自分が作った作品にはほぼ未練はなく、ゴミ箱に入るほどの大きさに破いたりちぎったりすることに何のためらいもなかったのですが、母親はそうではありませんでした。母親は、自分の息子の作品に価値を見いだしてくれていたのです。
 
 ノートパソコンやタブレットに何万円も出すのは愛ではなく交換に過ぎません。ですが、自分の子どもや孫が書いてくれた手紙や似顔絵に何万円もの価値を見いだすことは「愛」というキーワードなしに理解することはできません。

 周りの声や自分の中からも、自分の価値を見失わせるような声がいつも聞こえてきます。たとえ自分を含めて誰一人、自分の価値を見いだしてくれないような状況であっても、真の神はそうではありません。神は皆さんの本当の父親です。皆さんの造り主、作者です。誰よりも皆さんの価値を見いだされているお方です。神は、神の独り子イエス・キリストの命を与えるほどの価値を皆さんお一人おひとりに見いだしておられます。



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