キリストへの時間 2021年8月8日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

坂尾連太郎(南与力町教会牧師)

坂尾連太郎(南与力町教会牧師)

メッセージ: 時は満ち、神の国は近づいた

【高知放送】
     

【南海放送】
     

 おはようございます。南与力町教会の坂尾連太郎です。今月は「神の国」について聖書のメッセージを共に聞いています。

 マルコによる福音書1章14節、15節には次のように記されています。「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた。」ここにはイエス様が宣べ伝えた福音の内容が要約されています。それは「時は満ち、神の国は近づいた」という内容でした。

 「時が満ちた」とは、神が定められた時が満ちたということです。コップに水を注いでいくとやがていっぱいになるように、神が定められた時が満ちたのです。ではその時に何が起きたのでしょうか。イエス様は「神の国が近づいた」と語られました。では「神の国が近づいた」とはいったい何を意味するのでしょうか。そしてそれがなぜ「福音」「良き知らせ」なのでしょうか。

 このことを理解するためにはやはり旧約聖書の光に照らして考えていくことが大切です。イザヤ書40章9節から11節には次のようにあります。「高い山に登れ、良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ、良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるな、ユダの町々に告げよ。見よ、あなたたちの神。見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ、御腕をもって統治される。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い、主の働きの実りは御前を進む。主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め、小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。」

 イエス様が「近づいた」とおっしゃった「神の国」とは、神が「力を帯びて来られ、御腕をもって統治される」、そのような出来事です。そして「神の御腕による統治」とは、神が「羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め、小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる」、そのような恵み深い統治、ご支配なのです。

 さらにイザヤ書52章7節ではバビロン捕囚を経験し、荒廃していたエルサレムに対し次のように預言されています。「いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げ、あなたの神は王となられた、と、シオンに向かって呼ばわる。」

 「神の国」とは「あなたの神は王となられた」という出来事であり、敵に捕らわれていた民にとってそれは「平和」「恵み」「救い」を意味するのです。それゆえそれは「良い知らせ、福音」と呼ばれています。イスラエルの民は苦難の中で、自分たちの神が王となる出来事、すなわち「神の国の到来」を待ち望んでいたのです。そしてイエス様は「時が満ち、神の国が近づいた」と福音を告げられました。ついにその時がやってきたのです。イザヤが預言していた神の恵み深いご支配、すなわち救いが近づいた、もう間もなく地上に到来しようとしている。それは今実現しつつある。イエス様はそのように神の国の福音を宣べ伝えていかれたのです。

 さらにイエス様は「悔い改めて福音を信じなさい」と言われました。それが福音に対するふさわしい応答だからです。「悔い改める」とは、自分の罪を悔い改めることであり、同時に神様に立ち帰るという意味があります。「神の国が近づいた」、すなわち神様が王として近づいてこられたがゆえに、その神様に立ち帰る必要があるのです。神に背いて罪を犯していた生き方から180度方向転換し、神様のもとに「帰る」のです。そして「福音を信じる」とはイエス様が宣べ伝えた神の国の福音を信じるということであり、さらにはその「神の国」をもたらすために来られたイエス様ご自身を信じる、信頼する、ということでもあります。

 「神の国は近づいた」という福音を聞いても、聞くだけで何も応答しなければ意味がありません。それは例えて言えば、空港にいる人が「もうすぐ飛行機が飛び立ちます」というアナウンスを聞いても、搭乗口へ行かなければ飛行機に乗ることができないのと同じです。私たちはイエス様が宣べ伝えた福音を聞いて、悔い改めて神様に立ち帰り、そして福音を信じる必要があるのです。そしてそうするならば、誰もが「神の国」に入ることができる。神様の恵み深いご支配、その救いにあずかることができるのです。



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