キリストへの時間 2021年3月28日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

申成日(広島教会牧師)

申成日(広島教会牧師)

メッセージ: イエスのたとえ話4「見失った羊のたとえ」



 おはようございます。広島教会の申(シン)と申します。
 ここに100匹の羊を飼っている人がいました。羊たちは放牧されていました。羊たちは一日中自由に野原に行って草を食べ、仲間たちと遊び、夜になると家に帰ります。羊飼いは羊の名前を皆知っているほどだったそうです。1匹1匹、帰ってくる羊たちを数えながら、皆帰って来たのかを確認します。

 ところが今日はそんな場面ではありません。羊飼いは1匹がいなくなったことを家に帰る前に気付きました。羊飼いは99匹を野原に残して、見失った1匹の羊を探しにいきました。そして、その見失った1匹の羊を見つけると喜んでその羊を担いで家に帰り、友たちや近所の人々を呼び集めてみんなで喜んだというお話です。(ルカ15:1-6参照)

 家に帰った時の様子を想像してみてください。家に帰って近所の人々に「羊を見つけた!羊を見つけた!」と喜び、そして皆も一緒に喜ぶ、そのような様子を想像することができます。なぜ皆が喜ぶことができたでしょうか。それは皆が心配し、また皆が探していたからです。皆が見失った1匹の羊のことを「どうでも良い」と思っていたならば、共に喜ぶことなどなかったでしょう。

 イエスはこのたとえ話をした後に、1匹の見つけ出した羊は「悔い改める一人の罪人」であり、そして99匹の羊は「悔い改める必要のない99人の正しい人」として教えておられました(ルカ15:7参照)。しかし悔い改める必要のない人なんているでしょうか。それは、言い換えますと罪を持っていない人のことです。聖書には、この世においては罪のない人は一人もいないし、悔い改める必要のない人は一人もいないと言っています。では、この99人の正しい人はだれでしょう。それは「自称罪のない人」「自称義人」である人のことです。

 確かにこの世に生きている人の中で、人々と良き賞賛を得る人がいる反面、様々な悪事を行い、暴力、詐欺、姦淫、盗みなど、反社会的な人もいます。しかし、神様は彼らのことを喜びました。ただし彼らのその罪を喜んでおられるわけではなく、その罪を悔い改めて神様に立ち返ることを喜んでおられたのです。神様が真に喜んでおられるのは、このような一人の罪人が神のもとに立ち返ることです。

 逆に神様は、正しい振りをしながら心の底には様々な悪意を抱いている人を喜んでおられません。神様はその人々が再び神のもとに帰ることを待っておられます。そして、その見失った羊が悔い改めて帰って来ることを最大な喜びとしておられます。自分がクリスチャンでありながらも、もし神様に遠く離れた生活をしているならば、是非今帰って来てください。それが他ではなくあなたへのメッセージです。

 また、見失った羊はこの世のすべての人々です。人間というのは、神の似姿で造られたかけがえのない存在です。神様はまだ神のもとに帰っていない人々を待っておられます。どうか、あなたがそのような人であるならば、神のもとに帰ってください。そこに神様の大きな喜びがあります。

 さらに、神様は失われたものをただ帰ってくるまで待っておられる方ではありません。迷える羊は羊飼いと出会わなければ、様々な危険にさらされ死を迎えるしかありません。わたしたちは、神様がわたしたちを見つけてくださったので、羊としての価値ある人生を送ることができるのです。

 神様はこのようにして多くの人々を探し出し、喜び、またわたしたちも喜びを分かち合うことを求めておられます。失われたものを見つけ、罪人が悔い改めることを神様は何よりも大きな喜びとしておられます。ぜひわたしたちも、その喜びを共にしたいと願います。



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