キリストへの時間 2021年3月14日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

申成日(広島教会牧師)

申成日(広島教会牧師)

メッセージ: イエスのたとえ話2「善いサマリア人のたとえ」



 おはようございます。広島教会で牧師をしております申(シン)と申します。
 ある人がエルサレムからエリコへ下っていく途中、強盗(ごうとう)に襲われました。エルサレムとエリコという町は、その高さの差が約1000メートルもありました。そしてその道は非常に険しい道で崖もあり、よく強盗が出るところだったそうです。彼はエルサレムから下って来た人であるので、多分ユダヤ人であると推測します。

 強盗は彼を半殺しにしたまま立ち去りました。そこに3人の人が通るわけです。まず最初にユダヤ人の中でもユダヤ人である祭司が通りました。祭司はその人を見ると、道の向こう側を通って行きます。つまり避けていたわけです。関わりたくないという姿勢です。死んだ人の体に手を触れることは、ユダヤ人にとって汚れることでした。特に祭儀を行う祭司にとっては致命的なことだったのです。しかしそれにしても、死にかかっている人を見逃してしまうのは人命を尊重する神の信仰に反する行為です。

 2番目のレビ人も同じでした。レビ人はユダヤ人の中でも、神殿で働くように選ばれた特別な人たちです。彼らの中から祭司が出て、また彼らの多くは神殿の聖歌隊の奉仕をしていました。最も神に愛され、神に良く使われている人々です。しかし彼もそれを避けて通りました。

 3番目に通ったのはサマリア人です。このサマリア人は一言でいいますと、ユダヤ人の敵であります。しかしこのサマリア人が、強盗に遭ったユダヤ人を助けてくれました。このサマリア人は、彼が自分たちと関係の良くない人であっても、その人を助けるために最善を尽くしました。ただ、応急手当だけをしたわけではなく、宿屋を取って十分な宿代を払い、それ以上の必要な経費があればそれも支払う約束をして旅立ったのであります。本当にこのような人が今の時代にいるのかと思うわけです。

 今日のたとえ話(ルカ10:25-37参照)は、ある律法の専門家が自分を正当化しようとイエスに質問してきたことから始まります。やがて、自分では神の律法通り隣人愛を実践してきたと思っているこの律法の専門家に、イエスはその隣人についてのたとえ話を始められました。

 ここで、イエス様が話をなさったのは「このサマリア人のようになりなさい。そうすればあなたがたは救われます。永遠の命が与えられます。」という意味で話されたのではありません。イエスはむしろ「わたしが愛するべき隣人はだれですか」と問いかける律法の専門家に、むしろ「あなたを愛してくれる隣人はだれなのか」を教えてくださいました。

 それは誰でしょうか。敵でさえ自分を犠牲にしながら助けてくれる、愛してくれるその隣人とは誰でしょうか。イエスはこのサマリア人こそイエス様ご自分であると、またご自分が隣人となって、わたしたちのためにご自分を犠牲にし、わたしたちを救ってくださる方であると教えておられるのです。

 イエスはこのサマリア人のように、ご自分を憎み、迫害し、侮辱していた人々、一般的に敵となる人々の罪を赦すために十字架にかかって死んでくださいました。わたしたちは罪深い者ですが、このイエス様の死によって、イエス様を信じるだけで、永遠の命を得られる特権が与えられました。

 永遠の命を得ることは、人間の努力でできることではありません。敵のようなわたしたちを愛し、ご自分の命を捨てられたイエス・キリストを信じる信仰によって、永遠の命は得られるのであります。わたしたちはこのようなすばらしい隣人であるイエス・キリストを持っています。このキリストのすばらしい助けと恵みによって、自分が生かされていることをも覚えたいと願います。



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