どうも、みなさん、おはようございます。横浜市港北区にあります綱島教会で牧師をしております、小宮山裕一です。よろしくお願いします。
一年に一度、訪れるのが誕生日です。年齢を重ねると、子どもの時と比べてそれほど盛大にお祝いはしなくなるものですが、そうはいってもうれしいものです。
もうずいぶんと前ですが、ある人が「誕生日には死について考えろ」といっていました。この言葉には続きがあって、結婚記念日にはガンについて考えろ、というものでした。ちなみにその人は、誕生日に遺書を書くそうです。
誕生日には死について考えろ。なるほど、誕生日とは生まれた日ですが、人間、生まれたときから死に向かう。これはまぎれもない事実です。そして、私たちは、死を見つめるということをあまり、正面切ってしないのではないか、と思います。
死と生をどのように理解するのか。これは難しい問題です。死と生を対局に考えるのか。それとも、死は生の延長線上にあるのか。そういうことを考えていると、誕生日の一日はあっという間に終わってしまうでしょう。
ただ、はっきりしていることがあります。それは、ひとはいずれみんな死ぬということです。その意味で、死はもっとも大きな力です。そして、死という、大きな力に打ち勝たれたお方こそ、イエス・キリストであるということです。キリストを信じるということは、死に打ち勝たれたお方を我が神として信じるということです。