いかがお過ごしですか。羽生栄光教会の村田寿和です。
聖書は、私たちを母の胎内で一人の人間として形づくられたのは神さまである、と教えています。私たちはお母さんのお腹の中で、神さまによって造られたのです。そのことは私たちの誕生の背後に、親の意思を越えた、神さまの意志があることを教えています。私たちは誰もが、神さまに望まれて、この地上に産声をあげたのです。
こう聞きますと、「だれも頼んでいない」と思われるかも知れません。旧約聖書に登場してくるヨブは、あらゆる財産と子供たちを失い、ひどい皮膚病にかかったとき、自分の産まれた日を呪ってこう言いました。「わたしの生まれた日は消えうせよ。男の子をみごもったことを告げた夜も。その日は闇となれ。神が上から顧みることなく、光もこれを輝かすな。」(ヨブ3:3-4)
聖書は、私たち人間が自分の産まれた日を呪いたくなることを知らないわけではありません。私たちも、親に対して「産んでくれと頼んだ覚えはない。」と言ったことがあるかもしれません。しかしそのような言葉は、親をどれほど悲しませたことでしょうか。また、造り主である神さまをどれほど悲しませたことでしょうか。
そのような言葉を私たちが口にすることがないように、神さまは、救い主イエス・キリストを遣わしてくださったのです。