おはようございます。広島にあります平和の君教会の山下です。
今日から12月に入りました。12月は何と言っても、イエス・キリストの誕生を記念するクリスマスでしょう。教会では玄関にリースを飾り、アドベントカレンダーをめくり、説教卓にはろうそく立てが置かれ、日曜ごとに1本ずつ増やしてクリスマスを迎えるアドベントの期間を過ごします。クリスマスムードを盛り上げるためと、もう一つは神様のみ言葉から救い主が約束通り来て下さったことを覚えるためです。今日と来週は、旧約聖書のメシヤ預言に心を留めたいと思います。
今朝のみ言葉(イザヤ7:14)は、神様ご自身が一つのしるし、一人の乙女から救い主がお生まれになる奇跡をなさる約束が述べられています。難しく言うと「処女降誕」と呼ばれる特別な仕方で、罪なくしてキリストがお生まれになることが示されています。実はこの預言は救い主が来られる750年も前に語られたもので、当時イスラエルは、北のイスラエルと南のユダとに分かれていました。その北の王がペカフヤで、南がアハズという不信仰な王だったのです。
この時、アッシリアという国が世界帝国を樹立せんとし、小国イスラエルにとって大きな脅威となっていました。北の王ペカフヤは隣国のダマスコのレジンという王様と同盟を結び、そこに南ユダも加わらないかと誘いかけてきたのです。しかしアハズはそれを断りました。彼には腹案があって、大国のアッシリアに貢ぎ物を納めて庇護してもらおうと考えていたのです。それは、実際にはアッシリアの属国となるわけで、本当の解決にはならないものでした。主なる神様はその企てを知られ、人の手によらない神様ご自身の救いのみ業によって真の平和を実現するため、救い主がお生まれになることを約束されたのです。
今日、日本の為政者はアメリカによって、その軍事力と核の傘によって自国を守ろうと懸命ですが、果たしてそれは神様がお喜びになることなのでしょうか。わたしには甚だ疑問です。ある方がこういうことを言われました。権力者の考える平和と庶民が願う平和とは、どうも中味と手だてとが違っているのではないか。権力者は何よりも武力によって平和を勝ち取ろうとするものだと。
神様がわたしたちのために救い主をお遣わし下さると約束されたのは、そうした武器や力によるのではない、むしろ私たちをがんじがらめにしている罪の力と死の力から解き放って下さるため、あえて救い主は、弱さと卑しさと貧しさにおいてお生まれになられたのです。神様のみ心と救いのみ業こそ、真の平和、永遠の平和を実現するものなのです。キリストによる真の平和を願いつつ、アドベントの時を過ごすことにしましょう。