川越教会の木村恭子です。
ハイデルベルク信仰問答をご存知でしょうか。宗教改革の後に作られた信仰告白で、聖書の教えを問答形式にまとめたものです。今日はその中で、問42をご紹介します。
問42 キリストがわたしたちのために死んでくださったのなら、どうしてわたしたちも死ななければならないのですか。
答 わたしたちの死は、自分の罪に対する償いなのではなく、むしろ罪の死滅であり、永遠の命への入口なのです。(「ハイデルベルク信仰問答」吉田隆訳 新教出版社)
ここに、死の積極的な意味が教えられています。クリスチャンにとって、死は終わりではなく前向きな意味があるのです。
ヨハネによる福音書にもこう記されています。
「わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。」(5:24)
ヨハネによる福音書では、死を待つまでもなく、地上において、キリストを信じる者は既に、死から命へと移されていると教えています。ですから、結局のところ、死への積極的な備えは、キリストの言葉を聞いて、キリストを通して示された神の愛を信じること。神と共に、神に従って、今を生きること、このことに尽きるのではないでしょうか。人生が長くても、短くても。