今月から再びジョン・ティマー宣教師の子どもたちへのメッセージが始まります。「ほほえみトーク」の2017年1月から6月までのお話の続きですよ。
= 二つの時計のお話 =
むかしむかしあるところに、古い時計がありました。
この時計は、ゆっくりゆっくり、悲しそうに、チクタクチクタクしていました。
時間を知らせるときには、「悲しみましょう!とても悲しいよ!また1時間が過ぎて行ってしまって、もう戻らないんだよ!」と言っているかのようでした。
ある日、新しい時計がきました。
かわいらしい小さな時計で、とても軽快に嬉しそうにチッチッチッチッと動いていました。
時間を知らせるときには、「喜びましょう!嬉しいですね!新しい1時間が生まれましたね!」と言っているかのようでした。
おわかりだと思いますが、古い時計は新しい時計のことがちょっと嫌いでした。
「おまえは時計なのかね?」と古い時計はたずねました。「おまえは時計ではないように思えるがね。泡だて器かなんかみたいに聞こえるがね」と。
新しい時計は「ごめんなさい。でもこれが私の、時の刻み方なんですよ」と言いました。
古い時計は「バカ言うんじゃない。時の刻み方はひとつだけだ。私のようなゆっくりした刻み方なんだ。おまえは速すぎる」と言いました。
「でも、それのなにがいけないのでしょう?速かろうが遅かろうが正しい時刻をお知らせしている限り、いいんじゃないかしら?」と、新しい時計は言いました。
それから何日かというもの、2つの時計は話しませんでした。
古い時計はゆっくり、新しい時計は軽快に、時を刻んでいただけでした。
そして、ある晴れた日の朝、古い時計がしゃべりました。
「小さな時計や。考えていたんだが、おまえの言ったことは正しい。私が間違っていた。時の刻み方は問題じゃない。正しい時間を刻むことが大事なことだ。友だちになろう。」
そして、友情の証に2つの時計は共に時を刻みました。
さて、新しい時計は誰のことで、古い時計は誰のことでしょう?
簡単ですね。きみたち子どもたちが新しい時計で、お母さんやお父さんが古い時計です。
子どもたちと、お母さん・お父さんは違いますよね。時の刻み方が違うように。
でも、それでいいんですよ、みんなが同じ時を刻んでいる限り、つまり、同じ神様を信じている限り。同じイエス様を愛している限り。
あとはって?あとのことは、もちろん、きみたち子どもたちがやりたいようにやればいいんですよ。(訳:木川美来)