おはようございます。坂井孝宏と申します。
クリスチャンに独特の言葉遣いを天国人のボキャブラリーとして紹介しておりますが、「執り成す」というのもそういう言葉です。誰か他の人のためにお祈りをする時に、「執り成しの祈り」をするという風に言うんですね。それは、心配している誰かが今日も神様によって守られますようにと、そんな風に祈る時も、これも執り成しの祈りです。
でも、執り成しというのは本来は、敵対関係にある両者を仲直りさせるという意味があります。それは神様から心が離れてしまっている人や、あるいはまだ神様を知らないで道を見失っている多くの人々、あるいは、快楽だけを追い求めて好き放題しているような人々のために「神よ、彼らをお赦しください。彼らがあなたのもとに帰ってきて、平安を覚えることができますように。」と祈る。「執り成す」というのはそういうことです。
そしてそれは、イエス様が私たちのためにしてくださったことです。イエス様は十字架にかけられながら、その十字架の上で、私たちのために執り成しの祈りをしてくださいました。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23:34)と祈ってくださいました。
今も、イエス様は執り成し続けていてくださいます。彼らをお赦しくださいと、愚かな私たちのために祈っていてくださいます。この祈りによって赦された私たちだから、私たちも、誰かのために執り成しの祈りをしたいのです。