いかがお過ごしですか。新座志木教会の杉山です。
創世記に登場しますヨセフの17歳の時の出来事は悲しいものでした。兄たちによって大きな水溜めに投げ込まれ、通りかかった商人たちに引き上げられてやれやれと思ったのもつかの間、別の商人たちに売られてしまったのでした。
もっとも、このことで驚いたのは、ヨセフだけではなく、彼を助けだそうとしていた兄のルベンでした。彼は、弟が失われたと知った時に、自分の着物を引き裂いて嘆き、「わたしはどうしたらいいのか」(37:30参照)と言っています。
しかし、いくら悔やんでもどうにもなりません。そこでこの兄弟たちが最後にしたのは、父親をだます、ということでした。ヤギの血を付けたヨセフの上着を父親のところへ送り付け、死亡を確認させた、ということが聖書に書かれています。かつてヤコブがまだ若かったころ、父親と兄をだまして、神様の祝福を奪い取ったように、今度は、ヤコブが息子たちに騙され、愛する息子の死の悲しみに沈んでしまいます。
しかし、当然ながら、この話はそれで終わるわけではありません。なぜなら、ヨセフは生きているのですし、不思議な導きによってエジプトの役人の家に引き取られることになるからです。
悲しみと後悔しかないように見えるヤコブとその家族たちのあずかり知らないところで、将来の喜びに向かって神様のご計画は確かに進んでいくことになります。私たちは、このことからも、目の前にある現実だけがすべてではないことを知らされます。