いかがお過ごしでしょうか。東京練馬の光が丘キリスト教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
最後の晩餐の席で、キリストは弟子たちがこれから試練にあって、キリストから離れてしまうことを予告しました。続けて、弟子のペトロに言いました。
「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:32)
こんなふうに言われてしまいますと、ペトロとしては面目丸つぶれです。ペトロは決死の覚悟を宣言します。
「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております。」(ルカ22:33)
この後実際にはキリストの予告の通りになってしまったのですが、この時ペトロが示した覚悟自体は立派なものです。けれどもキリストは、その覚悟をほめることはありません。もしキリストが、覚悟が必要だと考えていたら「あなたは覚悟が足りないよ。」と言ったはずです。しかし、キリストはそんなことは一言も言いません。
これは私たちもよく考えてみたいところです。信仰というのは覚悟してキリストに従うことではありません。キリストは言いました。
「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。」(ルカ22:32)
私たちは、何かを要求されているのではないのです。私たちはキリストの祈りによって守られているのです。キリストは今日も、あなたのために祈っています。試練にあった時には、どうぞそのことを思い出してください。その時もあなたは神様の御手の中にいます。